雑誌解題『ラパン』

 世に「地理嫌い」な人は、けっこう多い(らしい)。しかし、その一方で「地図は好き」という人が、けっこうたくさんいるのも、また事実であろう。
 一昨年の秋、「想像力が旅をする 大人の地図マガジン」というキャッチコピーで『ラパン』という雑誌が創刊された。ラパンとは漢字では「羅盤」(日本語ではなく、広東語では“ルプン”と発音する)と書き、方位を見るための道具:簡単に言えば羅針盤のことらしい。地図の雑誌とは言っても、地形図とか土地利用図、地質図とかの解説が載っているわけではない。地図をきっかけにちょっと遠足気分で旅行に出てみたり、地図を通して色々な物を見てみたり、自分で調べて地図を作ってみたり、あるいは外国の地図を見て架空の旅行が描かれていることもある。
 最近の記事からいくつか紹介してみよう。
 「猫バスが停まるバス停を探して」(vol.4)では、大分県に「ととろ(土土呂)」という名前のバス停があることを聞いて訪ねている。本当にトトロはいるのだろうか? 猫バスはいつ来るの?  名前にひかれて行ってみると、本当に映画に出てくるようなところだった。バスは1日朝、昼、晩の3往復。
 5月号では、時期に合わせて、特集は「花の旅 団子の旅」となっているが、一見単なるグルメ情報、花見情報も「隅田川 花と団子マップ」「京都さくら地図」というように華やかな絵地図と合わせて書かれている。さらに江戸時代の花見にさかのぼり、「東都花暦名所案内」という天保時代に作られた地図が紹介されていたりする。それによれば、当時、4カ所の名所があり、上野は将軍様の菩提寺の境内だったので三味線などの「鳴り物は禁止」などというように、それぞれの名所に土地柄があったとか。
 「1958年〜1960年頃のボクたちの渋谷」は、同窓会を機に集まった人達が、自分たちが育った昭和30年代の渋谷周辺の様子を絵地図に表したものである。そこには「M少年宅はガケの上のトンガリ屋根の家」「K少女登校路、K少女下校路」「トロリーバスが駅前から明治通りへと通っていた」「昔の大砲があった大砲山。少年達の遊び場、野球、セミ採り」というような当時の様子が書き込まれている。机の上に地図を広げてお喋りをしているうちに、当時の記憶が次々とつながって甦ってくる。
 外国を、ツアーではなく個人で旅行することはなかなかできることではないが、地図の上なら自分の思うままに可能である。今回は、「オランダの「最高峰」をめざして」という企画で、殆どまっ平らなオランダの最高地点に登ろうというものである。御存知のように、オランダは国土の4分の1が干拓により作られた国だが、それにしても、なんとオランダの最高峰は323メートルしかない。これはどのくらいかというと岐阜の金華山と同じくらい。東京タワーよりも低い! 写真に「実際に行っていないので、写真はオランダ政府観光局提供」という注釈がついている。しかし、地形図と時刻表から想像で作り上げた旅行記は、「ほとんど車の来ない田舎道を歩いていると、モーレンウェークという小道と交差するが、ここにドイツとの国境を示す境界柱があった」とか「このあたりは7キロほどまっすぐな道が続いているのだが、どうやらこの道路、鉄道の跡らしい。根拠は…」というように、地図からたくましく想像を膨らまして、まるで見てきたかのように書かれている。また、「これだけ等高線間隔が狭くて微妙な地形が表現されているのは、いかにこの国が平らであるかの証明でもある」というように、地図自体から分かることの説明も忘れてはいない。
 この他、ちょっと変わって物としては、猫の行動を観察して作った「猫町地図」は、シリーズ化されていて今回は「東京都墨田区東向島の巻」。さらに、もっと妖しげな物として「昭和11年・東京に於ける火星人分布図」(vol.3)なんてものもあった。これは、本当に60年前の物のような古さびれかたをしていて、細かいグラフやデータが色々な色で印刷され、加えて手書きの書き込みが読み切れないほど記されている。

 地図や本は、その場所に対する想像を膨らませてくれる。ただ、実際には、その想像と現実は一致しないことも多い。昨夏、私はスイスに行った。「スイスに行く」と決めたことで色々な情報が集まった。関心を持つだけで、これだけ色々なことを知ることができるんだと思った。
 でも、実際に、チューリッヒの空港に降り立ってみた時、ローザンヌで列車を降りた時、レマン湖を船で渡ってジュネーブに上陸した時、いずれも本を読んで、地図や写真を見て頭の中で想像していた風景とは全く違った印象だった。当たり前のことだが、風景に奥行がある。人が動いている。空気が動いている。音がする。この情報化時代。全てが机の上で済んでしまいそうな気がする。しかし、やはり、「現物」を見ることは大切だと思った。
 そういった意味では、この「ラパン」ができることも、あなた達を現実世界に連れ出すということに限られると言えよう。もちろん、それができれば十分である。中には安直に作ったと思われる記事もないことはないが、多くは時間をかけて手間をかけて地図の面白さを存分に伝えてくれるものだと思う。
 ラパンを最初に見たとき、「なるほど、これはなかなか面白い雑誌だ」と思った。しかし、同時に「地図についてのことだけで、ひとつの雑誌を作り続けることができるのだろうか?」と心配になったのも事実である。そして案の定、昨年(96年)の4月の第4号までで休刊となってしまった。「やはり地図だけの雑誌は難しかったか」と思われた。ところが…。今年の2月、10ヶ月の沈黙を破り「ラパン」は復活した。発行発売は以前の三栄書房から、今回は住宅地図や、最近ではカーナビゲーションシステムのための電子地図で知られるゼンリンに変わったが、そうかといって「ラパン」がゼンリンの広報誌になってしまったわけではない。隔月刊で偶数月の7日発売なので今度の7月号は、順調にいけば6月7日に発売のはず…である。
(1997年6月5日)

「ラパン」:ゼンリン,偶数月7日発売,950円