戦争とは

 1990年の夏、8月3日、午後10時、ロサンゼルスの1日観光を終えて、ホームステイしているオーシャンサイドの街に帰ってきてみると、おかしなことが起こっていた。学校で解散し、迎えにきてくれたホストファーザーの車に乗るなり、彼が話し始める。「…problem…, I may have to go….」 何かが起こってどこかに行かなくてはならないと言うことのようだけれども、彼も落ち着いていられないのか早口でもあり、また自分自身の語学力のせいもあって、ほとんど理解できない。多分、地震か何か災害が起こって、その救援に行くのかと思ったのだけれど、どうも雰囲気が違う。その日一日、いろいろなものを見たり食べたり、また話をしたりして楽しく過ごして、まだ弾んでいた私の心は急に静かになった。「ニュースを見ていない? サウジアラビア…、クウェート…、サウジアラビアから日本もアメリカも原油を輸入しているから、守りに行かなくてはならない」ということのようだった。そう言われて見るとロサンゼルスのある本屋の店頭に置かれていた新聞の一面には中近東地域の地図や写真が載っており、『KUWAIT』の文字もあったが、単なるニュースとしてふと見ただけだった。それがあの「イラクによるクウェート侵攻」の時であるとは思いもしなかった。ホストファーザーはさらに「今、自分が家にいるのは、出発の準備のためで、多分、日曜日くらいには行かなくてはならない」と言い、その話す中には何度も、「I'm very afraid….」という言葉が出てきた。

 20回目の誕生日を迎えた一昨年の夏、私はアメリカ合衆国での40日余りのホームステイに参加した。ホストファーザーはアメリカ軍の“海兵隊(USMC : United States Marine Corps)”に勤めていて、家は軍の土地(ベース)の中にある居住地域にある。ベースの中は確かに迷彩服も珍しくないというか、それが普通というところだけれど、“軍隊”という言葉からくるどことなく怖いというような雰囲気はなく、かえって治安がよいこともあって、非常にのんびりとした感じがする。比較的若い人が多いためか、子供達もたくさん元気に遊び回っている。平時であれば、なかなかよい職業といえるのかもしれないな、なんて思うようなこともあった。平時であれば…。

 しかし、その日、起こるはずのない、あってはならないことが起こった。家に帰ると既に靴とか鞄とかが用意されている。
 その日を境に、オーシャンサイドの街の中の空気が確かに変わった。緊張感が漂っていた。翌朝、登校すると、もう事の影響があった。クラスメイトの一人が、沈み切った表情をしている。彼女のホストファーザーは、既に昨晩のうちに出発してしまったというのだ! このベースの中では、男の人は例外なく、中には夫婦とも海兵隊の人という場合もあり他人事ではない。ある人が行くということは、自分が行くということも意味するのだから。それから毎日、そのような知らせを聞くことになった。「今朝、隣りのお母さんがすごく泣いていた」というようなことを聞き涙をこらえられなかった。私は自分がどうしてこのような状況の中にいるのか不思議だった。しかし、ジェニー(Janie:クラスの先生)は言うのだった。「残念なことが起こってしまったけれども、あなた達は、今、まさに歴史の中にいるのだからよく覚えておきなさい」と。ジェニーの主人も、もちろん海兵隊員である。

8月7日
 この日、1990年8月7日は、私の20回目の誕生日である。学校に集合すると、ジェニーがケーキを作ってきてくれた。大きなデコレーションケーキではなくて、アイスクリームのコーンの中にケーキを作ったのを、17人のクラス全員のぶん作ってきてくれて、私ののうえにキャンドルを3本立てて、みんなでHappy Birthday♪♪を歌ってくれた。
 家でも風船を部屋の中に飾ったり、たくさんのプレゼントを用意してくれた。それに今日は「キッチンに入っちゃだめ!」と言って大〜きなバースデーケーキを焼いてくれた。夕食の後、みんなでHappy Birthday♪♪を歌ってくれた。夕方には近所の子供達も歌ってくれた。いろいろな人にたくさんHappy Birthdayと言ってもらって、誕生日というのは、やっぱりスペシャルな日なのだなと思った。
 寝る前にホストマザーに聞いてみた。「Will Kenny have to go foreign country?」 ホストマザーは、「分からない。でもMarine(海兵隊)も、Navy(海軍)も、Air Force(空軍)も、Army(陸軍)も、既に多くの人が行ってしまったし、いつ出発するかも分からないから準備していなくてはならない。ケニー(ホストファーザー)は今とても神経質になっているの」と言う。この前の日曜日には一緒に遊びに出掛けることができたし、もう行かなくてもよくなったのかと思っていたら、そうではなかった。

8月8日
 夕食後、隣りの家に遊びに行った。隣りの家はお父さんがアメリカ人の海兵隊員で、お母さんは沖縄出身の日本人で、ジュリア(Julia)とシェイン(Shane)という2人の小さな子供がいる。ビー玉と紙風船を持って行ってあげたのだけど、しばらくするうちに紙風船は2つともつぶしてしまった。そしたら今度は、以前にあげた折り紙を持ってきて(“折り紙”という言葉を知らなくて、“make upのpaper”と言う。また“お手玉”も知らなくて、“あのshape,shape”と言うので解読するのにこの前かなり苦労した)遊びだした。ジュリアもシェインも今のところ7:3くらいで日本語も一応話せるのだけど、お母さんは、「シェインのこの顔に英語は似合わないでしょ。あなたは日本語のほうが似合うのよ。こちらにいると日本語を忘れちゃうんじゃないかと思って…。私も叱るときは英語になるし」と言っていた。多分このままだと忘れる。お母さんしか話す人がいなくなったら。
 それはそうとテリー(Terry、隣りの家のご主人)も、中東に行かなくてはならないそうで、お母さんはかなり困っていた。ある部署のたくさんの人の中で5人行くうちの中に入っているのだそうで、土曜日までに準備をしなくてはならなくて、この日もミーティングで帰りが遅くなっているということであった。隣りに来てからまだ2週間しか経っていなくて、お母さんはどうしていいのか分からないって感じ。「テリーの兄弟が心配してよく電話がかかってくるし、テリーの妹のいるミネソタに来るようにという話もあるけど、また気を使わなくてはならないし…。テリーの実家に夏休みに行く予定だったのもキャンセルになったし…」と言っていた。車の運転はできるのか聞いたら、免許はあっても乗っていないような感じだった。「知ってる人は、お隣りさん(つまり私のホストファミリー)しかないし、私、銀行に行くのが苦手だから…。」
 おそらく私がこの時、日本にいて普通に夏休みを過ごしていたなら、たとえ中東で紛争が始まって日本の石油にある程度の影響があったとしても、遠い国の話として、ただニュースを見るくらいのことだと思われるのだけど、現実に自分のいるところを考えてみると、絶対にそんなふうには思っていられなかった。そこは海兵隊のベース。隣りのお母さんは、これからの何も知らないところでの生活のことを気にしていたが、本当は一番心配なのはテリーが中東に行くこと、その事実である。だって戦争なのだ。日本にいたら絶対に実感はないと思うけれども“本当の”戦争なのである。ベースの中でも、もう出発してしまって人もいた。あるクラスメイトのホストファーザーも前晩出発してしまったそうだ。またある子の隣りのお父さんも。今朝そこのお母さんが泣いていたって。6ヶ月は戻って来れないだろうって。6日で済むかもしれない。60日かも、6ヶ月かも、6年かもしれないって。 この気持ちが分かるだろうか? お父さんを戦争に送り出す気持ち。耐えられない。 「それで今日、うちのお母さん機嫌が悪かったんだ」とか色々なことを聞いてごらん。本当に耐えられない。17人のクラス、誰一人として例外はなく、海兵隊なのだから真剣だ。ケニー(ホストファーザー)「行かなくてもよくなることを願っている」、トレーシー(ホストマザー)「ケニーが行かなくてもいいように祈ってる」、ジェニー(先生)「ブッチ(ジェニーの主人)が行かなくてもいいようにお願いしてる」 でも自分だけが、自分の主人だけが行かなくてもよくなることを望んでいるのではない。それはちゃんと感じられる。戦場というものを私は知らない。知りたくもない。でも現実に目の前に戦場に行かなくてはならない人達がいる。現実として…。

8月18日
 1ヶ月のホームステイのあと、10日間、たった一人での西海岸フリーの旅行を終え、翌日には日本に向けて飛び立つこの日、午後9時過ぎに、サンフランシスコからホストファミリーに電話した。何か電話の向こうでみんなで大騒ぎという感じが伝わってきた。何と言っても一番良かったのは、ケニーがまだ家にいたこと。私と同じ日に出発してしまったのかと思っていた。ホストマザーは「今すぐには行かなくてもいいみたいなの」と言っていた。ケニーは、私がバンクーバーとシアトルと、バークレイとサンフランシスコに行ったと言ったら、カリフォルニアのアメリカ人でも行ったことのないようなところに行って来たんだなって言っていた。それから子供達と代わる代わるに話して、結局15分くらい話していたかもしれない。

9月3日 (ホストマザーから私への手紙)
 (前略) 今日は、あなたがここを離れた日と同じ様に、とても悲しい日となりました。今日、ケニーが外国に向かって出発しなくてはならなかったのです。私達には、彼がいつ家に帰ってこられるのか分かりません。でも私は祈り続けます。 (後略)

1991年1月15日
 成人式に出席し、中学校の頃の懐かしい友人と久し振りに楽しいときを過ごしたこの日、国連安全保障理事会の定めたイラクのクウェートからの撤退期限が過ぎ、戦力使用が容認されるときが来た。

 そして1月17日、午前、“戦争”が始まる。20歳を迎えた私。時代が時代なら、あるいは場所が場所なら真っ先に動員される身であったろう。現在の平和な日本に生まれたという理由だけで私は戦場に行かなくてもいい。